「地に足をつけて着実に前に進みたい」多様な女性の生き方を発信しつづけるWomen’s Innovation代表・大山友理

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ、第179回はWomen’s Innovationを高校3年で立ち上げた大山友理さんです。中学の頃からクラスメイトの死や家族の病気などといった出来事に直面され、その度に周囲の人との向き合い方や自分の人生について考えてきたという大山さん。「考える」ことをやめず、常に前に進み続けようとしてきた大山さんがWomen’s Innovationを立ち上げた経緯についてお話いただきました。また、現在4年目となる組織の立ち上げで苦労したことや、現在組織を持続的に運営する際に意識していることについてもお聞きしました。

おかえりとただいまが循環するコミュニティの運営

ーまずは簡単な自己紹介をお願いいたします。

津田塾大学総合政策学部3年の大山友理です。2017年4月に立ち上げた学生コミュニティWomen’s Innovation(ウーマンズイノベーション)の代表を務めている他、次の週末に取り入れたい理想の生活を提案するコミュニティメディアNEXTWEEKENDでイベント制作のインターンもしています。

ー現役大学生でありながら、Women’s Innovationでの活動とメディアでのインターンもされているんですね!Women’s Innovationの活動についてもう少し詳しく教えていただけますか。

Women’s Innovationではライフステージに合わせて選択をしてきた女性の多様な生き方を発信しています。パーソナリティが今会いたいゲストとトークする「お悩み相談ラジオ」や全国各地の街のロールモデルに出会えるオンラインコミュニティ、ロールモデルに直接会えるオフラインでのイベント開催、運営メンバーによるアウトプットコラムなどが主な活動内容です。これまではどうしても都心中心の活動になっていましたが、今は東京以外の拠点にもこの活動を広げることに力をいれています。

メインで活動しているメンバーは10人程ですが、コラムの執筆をしてくれているサポートメンバーなどを含めると総勢30人程になります。Women’s Innovationの特徴としてはコミット度を全て個人に任せていることがあります。やりたいと思ったことをやってもらい、忙しい時はお休みしていただき時間ができた時にまた戻ってきてもらっているんです。そのため、コミュニティの卒業もそれぞれが卒業したいと思った時に卒業してもらっています。「おかえり」と「ただいま」が循環するというのがコミュニティのルールになっているんです。

ーおかえりとただいまの循環って素敵ですね! その中で大山さんはどのような役割を担っているのでしょうか。

各コンテンツごとにリーダーをアサインしており、そのリーダーたちのサポートをすることが主な仕事になります。大事にしていることは定期的に行っているミーティングで必ず各コンテンツ・各リーダーからの意見をしっかりと吸い上げること。メンバーの思いが反映されたコンテンツとなるように意識しています。

Women’s Innovationは社会に対して発信することよりも当事者である自分たちが満足して発信できることに重きを置いています。周りからの反応を気にするのではなく自分たちがやりたいこと・知りたいことをWomen’s Innovaitonを通して実現できるプラットフォームであり続けたいです。

 

幼少期は地域コミュニティで育てられた

ーWomen’s Innovation設立に至るまでの過去のお話も聞かせてください。どのような環境で幼少期を過ごされたのですか。

幼少期の頃は宮城にあった母方の祖父母の家に頻繁に訪れ、そこで過ごすことが多かったです。祖父母がブティックとレストランを経営していたので、お店に訪れる祖父母の友人や母の友人など地域の人たちに囲まれて育ちました。それもあってか人見知りはせず、物怖じせずに大人にも話しかけられる子供でした。人とのコミュニケーションの取り方や人と関係性を深める方法はここで鍛えられたのだと思います。

ーその生活はいつ頃まで続いたのですか。

祖父母の家との2拠点生活は5歳頃まででしたが、その後も小学校3年頃まではよく遊びにいっていましたね。ちょうど小学3年の3月からは中学受験の勉強を始めました。勉強が苦手だったので進学するには早めに受験勉強をスタートした方がいいと思い、小学3年からやっていたのですが、中学受験では第一志望に合格することはできませんでした。それでも受験勉強のために通っていた塾で恩師に出会うことができたので受験勉強はやってよかったです。

ーそうだったんですね。どんな先生だったんですか。

私が長女だったこともあり、私にとってその先生は少し上のお姉ちゃんのような存在の先生でした。自分で学費を払いながら大学生活を楽しんでいて、自立して前に進んでいける女性になりたいとその先生を見て思ったんです。

 

生まれてきた焦燥感と劣等感、考える日々

ー素敵な出会いが小学生の時点であったんですね!第一志望は不合格だったとのことですが、中学生活はいかがでしたか。

第二志望だった中高一貫の私立、玉川聖学院に進学しました。人に恵まれて中高生活は楽しかったです。中学ではバドミントン部に入ったのですが、部の人たちが聴覚障害持った親友のいないところで親友の悪口を言っていたのを聞いてしまい、違和感を持ちました。障害は個性ではなく、先天性や突発性など予期せぬこと。コントロールできない辛さもある中で、嘆くことなく、頑張っている親友に陰口を言うのはおかしいと思ったんですよね。そんな親友とともに、私が小学校時代に習っていた書道を再開し、その他に今も続けている茶道と着付けを習っていました。

また、中学1年の秋にクラスメイトが病死したことが、「自分は一生懸命人生を生きれているか?」と考えるきっかけになりました。ドキュメンタリーで他国の現状や病気と闘っている人などを見るたびに自分がいかに恵まれているかを認識し、明日から頑張ろうと思うことは小学校の頃から多々あったのですが、翌日にはすぐ忘れちゃっていたんです。毎日を本気で生きれていないのではないかということに対する焦燥感・劣等感とも向き合った中学生活でした。

そして中学3年の時には父が難病にかかり、余命宣告を受けました。クラスメイトの死以来、次に誰か身近な人が病気になった時はその人とちゃんと向き合い、自分にできることを考えたいと思っていた時の出来事でした。父は仕事で忙しかったので、母や祖父母と比べてあまり思い出がなく、残された父との時間をどう過ごせばいいか向き合い方に悩むこととなりました。父の発病から学んだことはたくさんあります。次の瞬間を後悔しないように生きること、日常の幸せに感謝して生きること、そして何より健康が資本になることです。家族の心と身体の健康に今まで以上に気にかけるようになりました。

ー高校生活はいかがでしたか。

人格を教育することにフォーカスしていた学校だったため、人間学という授業が高校ではありました。車椅子で生活されている方や難聴などのハンデを持っている方と一緒に自分たちには何ができるかについて考える機会があったり、毎年クリスマスには1人2つ手作りポーチを作製し近隣の老人ホームと障害者施設に届けたりしていました。自分以外の人のために何ができるかを考えさせられた高校生活だったなと今振り返ると思います。

また高校に入ってからは父の病気が再発した他、父方の祖父が脳梗塞、母方の祖父が癌、母方の祖母が認知症になり、身近な人の病気が重なり、自分以外の人に寄り添うということについて考えるようになりました、

ー大山さんにとって大変な時期だったかと思いますが、どうやって心の整理をされ、向き合われたのでしょうか。

弟の影響を受けてサッカーが好きだったので、中学から高校に進学する際に「サッカー日本代表はなぜここまで強くなることができるのか」についての修了論文を書きました。その中で、プロサッカー選手もたくさんの苦労を乗り越えて、いろんな思いを抱えながら前を向いて生きていることが分かりました。きっと最後は時間が解決してくれるだろうと思い、私も前を向いて毎日を全力で生きようと思ったんです。

それでも常に前向きでいられた訳ではありませんでした。父の病気を含め「生きる」をテーマに弁論大会に出場した頃を境に、高校2年の3月あたりから身体と心のバランスが取れなくなり車椅子や松葉杖に頼る生活を一時期送っていました。前に進みたいのにどうしていいか分からず、先のことを考えすぎて目の前のことに目を向けられなくなってしまったんです。

 

たらればを失くすためWomen’s Innovationを設立

ーそこからどうやって再び目の前のことに目を向けられるようになったんですか。

前に進む手段として高校3年の4月に始めたのがWomen’s Innovationでした。進路選択も含め、自分がこれからどうなりたいか、どう生きていくかを考える必要がでてきたので人生の先輩方に話を聞きたいと思ったのが立ち上げのきっかけでした。あとで「たられば」を言わないようにできるだけ自分の選択肢を増やしておきたいと思ったんです。

ーWomen’s Innovationを通して自分がどう生きていきたいか、明確になってきましたか。

いろんな方々のお話を聞き、それが自分の選択肢として増えたことで、逆に将来何がやりたいのか分からなくなってしまった部分は正直あります。大学に進学してすぐにメディアでインターンもはじめましたが、そこでもまた、子育てをしながら働く自分のイメージができず、これからどういう選択をするのが正解なのか分からなくなってしまいました。

同時に、悩みはきっと何歳になってもなくならないんだなということも分かってきました。「ネガティブケイパビリティ」という言葉と最近出会ったのですが、不確実なことはそれぞれのタイミングで必ずあるのでそれを受け入れて前に進むことが大事なんだなと思いました。何歳になってもきっとモヤモヤすることはあることに納得したら少しずつモヤモヤって解消されるんだろうなと。

ーそうかもしれませんね!  Women’s Innovationの運営はやってみていかがですか。

コミュニケーションをとることの難しさは常に感じています。なので誰に対してもその人がどういう意図や思いを持って言葉を選んでいるのかを考えながら話すことを意識しています。逆に、会話している中でいいなと思った言葉や表現はメモにして自分の言葉にしたりもしていますね。最近ではオンライン上のみでのコミュニケーションも増えてきたので、テキストベースでは意識的に絵文字を使うようにしています。ただ句読点だけだとこちらの感情が伝わり難かったりするので…

個人的な話をすると、去年の3月に母が劇症1型糖尿病を発症し、GWに父方の祖母が亡くなりました。寄り添うとは何かを、自分なりに改めて探究していた気がします。それから1年近く経った今年の6月、母方の祖父が亡くなりました。私と性格が似ていて距離が近く、とにかく愛情深い人でした。このコロナ期間は、病気による家族の多くの変化にその都度向き合いながら、背伸びをして頑張るのを辞めました。

最近Women’s Innovationでは、持続的な組織の運営と地に足をつけて前に進むということをテーマに今再び動き出しているところです。

ーそうだったんですね。最後にWomen’s Innovationの今後の展望や大山さん個人の目標についても教えてください!

Women’s Innovationの目標としては9月に広島でのオンラインコミュニティがスタートしたところなので引き続き他県でもWomen’s Innovationを広めていくことに注力していきたと思っています。地に足をつけながら、着実に前に進めていきたいです。

私個人としては、これから就職活動としっかり向き合うことが直近の目標です。自分にきっかけを与えてくれた人、関わってくれた人への感謝の気持ちを忘れず、手に取れる距離にある幸せを紡ぎながら前に進めたらなと思っています。

ー素敵なお話ありがとうございました!今後のご活躍、応援しています。

取材者:あおきくみこ(note/Twitter
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter