あなたとわたしの違いを愛する社会に。東京大学大学院生・Culmony代表岩澤直美

 

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第136回目のゲストは株式会社Culmonyの代表を務める岩澤直美(いわざわなおみ)さんです。

お母様はチェコ人、お父様は日本人という家庭に生まれた岩澤さんは、チェコ・プラハ出身。ハンガリー・ドイツ・日本で育ちながらも「自分は日本人である」というアイデンティティーを持っていました。しかし、日本の小学校で「なんで日本におんの、外国に帰りーや」とよそ者扱いされてしまいます。その後、自身のアイデンティティに葛藤を抱え悩みながらも、多様なルーツをもつ仲間との出会いから、少しずつ自分のアイデンティティとの付き合い方を理解しはじめたそう。高校3年時に異文化間教育に取り組むCulmonyを設立し、現在は事業を継続しながら、東京大学大学院生としても異文化間教育研究に励む岩澤さん。彼女が自身のアイデンティティーを確立した過程を取材しました。

「自分の母国はどこなのだろう?」悩んだ小学校時代

小学校2年生の岩澤さん

ー本日はよろしくお願いします。自己紹介をお願いします!

岩澤直美です。株式会社Culmonyの代表を務めています。社名である「Culmony(カルモニー )」は、CultureとHarmonyを掛け合わせた造語。事業内容は、異文化間能力の向上を目的とする学習プログラムを提供しています。高校3年生のときに設立したので、2020年で6年目を迎えました。異文化間能力というのは、「個々が持つ知識、技能、態度に基づいて、異文化環境で効果的かつ適切にコミュニケーションをとる能力」のことで、異文化間理解に必要不可欠です。

会社を経営しながら、東京大学大学院で異文化交流や異文化理解を深めるための教育を研究しています。研究内容は、主に小学生を対象とした異文化間能力を育むための学習プログラムやアクティビティの開発です。

ーチェコのご出身ということですが、日本に移住されたのはいつですか。

生後すぐです。ですので、チェコに住んでいたころの記憶は全くありません。5歳でハンガリーに引越し、小学校1年生の夏までの2年間は、ブダペストのインターナショナルスクールに通っていました。帰国し、1年生の途中から大阪の小学校に通いはじめましたが、帰国子女や多様なルーツを持つ人が少ない地域だったんです。そのため、クラスメイトは海外からやって来た私に興味を持ち、「なんで茶髪なん?」「なんでピアスあんの?」「英語喋んの?」と次々と質問してくれたことを覚えています。

一緒に時間を過ごすと、文化の違いを感じることが多くなりました。「なんで日本におんの、外国に帰りーや」「ハーフやのに、日本語しかできへんの?」「アメリカ人やろ?」と言われたこともありました。悲しかったし、ショックでしたね。「自分は日本人だと思って帰国したけど、日本だと周囲は”ガイコクジン”だと判断するんだ。じゃあ、私は”ナニジン”なんだろう?」と。

ー小学校でよそ者扱いを受けるのは、相当辛かったと思います。

家だけが安心できる場所だったので、学校から帰宅して好きな本を読んだり、家族とご飯を食べたりすることが幸せでした。父の仕事の都合で数年おきに他の地域に引っ越すとわかっていたので、「またいずれ引っ越すから、今だけだな」と思うことで、日々を過ごせていたんです。

ルーツの複雑さを「個性」と捉えることができた中学校時代

一番左の少女が中学校2年生の岩澤さん

ー家が精神の支えだったんですね。実際に引っ越しの機会がまたあったのでしょうか。

小学校6年生の途中でドイツのインターナショナルスクールに転校しました。国際色豊かなルーツの人たちが集まる環境で出会った友人とは「価値観や考え方が似ている」と感じられたんです。「これを求めて今まで頑張ってきたんだ!」と思いました。

ただ、学校の授業は英語で、当然クラスメイトも英語を使いこなしていたんですけど…私は当時全く英語が話せなかったんです。自己紹介をひとりで何度も練習してからクラスに向かったことを覚えています。意気込んでいましたね(笑)

ー使い慣れない英語をなんとか克服したいという思いだったんですね。学校の教育環境はいかがでしたか。

出身国が異なる両親をもつクラスメイトが周りにいたので、自身のルーツに関係するさまざまな国を紹介するという機会に恵まれました。社会問題や歴史、文化の話をするときは、先生から積極的に「みなさんの国ではどうですか」という質問があり、私は日本で学んだことや経験したことを共有していました。ここで居心地が良かったのは、国籍や外見で国を代表することを強いられず、「自分が知っている国」「アイデンティティを感じる国」について語ることができたことです。

ただそのような気持ちを抱き、国際色豊かな学校の居心地のよさと感じていた一方で、自分のアイデンティティはわからず悩んでいたんですよね。ドイツの学校では、日本人としてのステレオタイプを求められたことがあって…。日本人は宿題を絶対忘れないというイメージがあったようで、私が宿題を忘れると、「日本人なのに」と言われました。私は「日本人?」「チェコ人?」と、常日頃から自分自身に問いかけていました。

ー自分がナニジンなのかを定義できなかったんですね。

もっと日本人になりたいと感じていた時期もありました。ドイツにいる間も日本のファッション誌を読んで、日本人モデルの髪型をマネしてみたことも。前髪を切って、黒染めしたら、日本人っぽくなるのか、なんて。しかし外見を変えても自分の中身は変わらなかったので、高校入学以降では自分が好きだと思える髪型を楽しんでいました。

日本の異文化間教育を広めたい。株式会社Culmonyを設立

ビジネスを勉強する高校3年生の岩澤さん

ー「日本人になりたい」、その気持ちはどのように変化されていきましたか。

中学校3年生の途中で日本に戻り、関西学院千里国際中等部・高等部に進学しました。そこでは、複数の文化的ルーツを持つ人や、「サードカルチャーキッズ」(家庭の文化とは異なる文化圏で育つ子ども)も多く、お互いに悩みを相談できたので、すごく居心地がよかったですね。先生たちも、異文化に理解のある方々でした。おかげで、学業や学外のスピーチコンテスト、競泳の練習に励むことができ、良い成績や多数の入賞の実績を得ることができました。大学受験が終わった頃、ずっと関心のあった異文化間教育の活動をしたいと思い、より多くの子どもにより多くの機会を提供するために、一人の力では限界があるので任意団体を設立しました。その頃は、保護者の方から授業料を頂いたり、協賛企業との取引が発生していたりしたので、保護者と協賛企業とのつながりを保ちながら、信頼を得る必要がありました。

「勉強もスポーツもできていいね」「高校生で団体を立ち上げるなんて、すごいね」と、周囲から評価してもらっていたものの、私はコンプレックスだらけでまだまだと感じていたんです。自分のやりたいことが十分に出来ていないし、やりたいことにたどり着くための自分のノウハウやスキルが圧倒的に足りないことを自覚していたと思います。

その後大学3年目を休学し、任意団体設立から2年後に法人化しました。学業を一度休止したのは、これまで展開出来ていなかったことに取り組みたいという想いがあったからです。

ーやりたいことを続け、起業にたどりついたんですね。今、自信を持って取り組み続けることができている理由を教えてください。

実践と研究の両軸を持つことができたからだと思います。異文化間教育の活動を展開する中で、プログラムの開発と発信に悩んでいました。異文化間教育の先行事例を読んで理論を知り、学ぶべきことの膨大さにモチベーションが下がり、気分が落ち込むときもあって…。しかし、気持ちを切り替えて、「まだまだ勉強できることがあって楽しい」と捉えなおし、学問に励むことができるようになりました

ー株式会社Culmonyでの活動を通じて成し遂げたいことを教えてください。

異文化理解クイズを子どもたちに出題する早稲田大学国際教養学部のころの岩澤さん

日本社会において、違いを尊重し、ステレオタイプや差別をしない、お互いの違いにしっかり向き合えるような人で支える未来を目指しています。

そのために、2つのアプローチをしています。まずは、異文化間教育の研究です。先行事例を作り、次世代の教育方法や、異文化間能力研究の土俵を作るのが大事かなと感じています。もう一つは実践です。お互いの価値観を理解して、文化に触れる積極性を育み、異文化間能力を育成する教育を支援したいので、今後も子どもたちのために活動していきたいなと思います。

ー岩澤さんの活動をこれからも応援しています。ありがとうございました!

取材者:増田稜 (Twitter
執筆者:津島菜摘 (note/Twitter
編集者:野里のどか (ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter